外谷さんブデブデ日記(51)

外谷さんブデブデ日記(51)

劇画家の宮谷一彦氏が6月28日に亡くなった。享年76。
あの小池一夫氏はこう言った。
「あれは間違いなく劇画の頂点まで極めた男だ」と。
それを保証する傑作群の一部しか私は知らず、しかも理解不能であったが、天才であることは、予備校時代の一作で身に染みていた。
wikiの作品リストで調べてもタイトルも掲載誌も不明の、群小週刊誌に載ったスパイ・アクション物である。他の作品に比べて絵が違う。構図が違う。はっきり才能が違う。他作家の100倍の稿料を取ってもいいと思った。だが、この時から、私はある違和感を抱いていた。この人は合っていない物を書いている。それは、主人公の協力?として現れる工作員・矢萩によって明らかになる。哲学書をよみふけり、同じアパートの住人たる聾唖の少女に愛されながら、死の道を歩むこの学生(?)こそが、宮谷一彦の主人公であり、宮谷一彦自身なのだ。宮谷一彦の名を不動の物とした後年の作品は全て「矢萩」の物語なのである。こうして、本来、宮谷一彦に向いていなかったスパイ・アクションは彼の作品となった。正直、それからの名作は私の理解の範疇を越えている。それが彼の本質だとわかってはいても、勿体ないなあとの思いは変わらなかった。しかし、救いはあった。作家になって数年後、引っ越した近くの中華料理店で、何気なくコミック誌をめくっていた私に、宮谷一彦は挫折したトランペット吹きとして現れたのである。才能はありながら名声とは無縁の彼は、最後の演奏を行う。そこへ名声に包まれたかつてのライバルが現れる。そちらに気を取られる観客に、何をしてるんだ、おれとシャウトしようぜと無言で話しかけながら、彼は演奏をやり遂げる。そして、恋人とともに、凍えながらでも朝を待とうと、冬の夜に消えていく。宮谷一彦は自作を、全て僕の真実ですと断言しているが、それは魂と言い換えてもよかろう。暇潰しに読んだ小さな物語に私はそれを感じた。そしてひっそりと私の宮谷一彦に礼を言って、店を出たのだった。

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