外谷さんブデブデ日記(26)
2021 4/6(火)
9時20分起床。外谷さんいない。寂しいなあ。ハワイで大規模な銀行強盗か大地震でも起きれば、ひと安心なのだが。
貸本その5
白土三平氏の忘れ難い二作のうち一本は、忍者にあらず武芸物である。一族(だったか?)をある武道家に殺された男が、その家族を皆殺しにすべく戦いを挑む。まず主を殺し、ついで長男。こちらも強いのだが、復讐鬼は普通の人間ではなかった。上半身が地面すれすれで、相手の脚を狙うのだ。余りにも低いため、長男は為す術もなく両足を切断され頭を割られてしまう。この現場を次男と通りすがりの武士が目撃するのだが、武士の名は宮本武蔵。平凡な作者ならここで武蔵が次男に秘策を授け〜という展開になるのだが、彼は「恐るべき相手だ。どう倒すか?」と呟きつつ、その場を去ってしまう。残された次男は半狂乱になりながらも、ある現象を目撃して焦眉を開く。
そして対決。脚への一撃を間一髪かわして跳躍した次男は、敵の背中に一刀を投げつけるのである。彼が目撃したのは、飛びかかる蛙の鼻先に小便を引っかけて急上昇する燕の姿だったのだ。やた!しかし、復讐鬼は苦痛に顔を歪めながら、ニヤリと笑う。彼の背は瘤だったのだ。かくして次男も虐殺され、ついに復讐鬼と武蔵の対決の時を迎える。
とある沼のほとりにある掘っ立て小屋に武蔵はいる。蛙の鳴き声がやかましい。復讐鬼がやって来る。声をかけると板戸が開いて武蔵が現れる。半身は板戸に隠れている。どんな秘剣をもって迎え撃つのか?自信満々の復讐鬼。次の瞬間、「勝負!」の叫びとともに繰り出された武蔵の剣!ーー否、それは槍であった。剣ならば不敗の復讐鬼もこれには堪らず、あっさりと首から肺を貫かれて倒される。小屋の後ろには夥しい蛙の死骸が転がっている。そこに武蔵の台詞が
「剣ではなかなか斬れない蛙も、槍なら簡単に殺せるということさ」
あくまでも剣に固執した次男と私は裏をかかれ、苦もなく剣を槍に変えた武蔵は生き残った。剣豪と白土三平は「発想の転換」の先祖だったのだ。
残る一本も時代物だがまるで作風が異なる。
これには度肝を抜かれた。抜かれないやつは脳味噌が抜かれているのだ。
ある暖かい昼下がり、黒装束の忍者が、野原に寝転んで、彼方の木を眺めている。一匹の小鳥が木の枝の上を歩いていく。枝は横8の字にねじれている。忍者は目を見張る。枝の上にいた小鳥が、いつの間にか枝の裏に移動しているではないか!?
ここまでなら現実にもある現象だし、SFファンならもう分かるだろう。木の枝はメビウスの輪を形成しているのだ。
普通ならこの忍者も漫画家も、ここでおしまいだろう。だが、白土三平は次を描く。SFじゃないんだよ。時代物だよ。忍者漫画だよ。暖かい昼下がりだよ。誰が木を切り倒して組み合わせ、でっかいメビウスをこしらえようと思うかね? 忍者がもうひとつの世界へ行こうと思うかね?
白土三平と忍者はそれをやる。そしてあと一息というところで、鋭い枝の先が忍者の胸をーー彼はこう悲嘆する。「もうひとつの世界を覗こうとした報いか」 と。実はこのシーン、ラストではないのだが、そこは書かないでおく。SFと言えば手塚漫画しか存在しなかった時代に、こんな突拍子もない漫画を本気で書いた白土三平氏に呆然とするばかりである。
余計なお世話だが、かつて白土氏のもと担当者から、「原稿料トッブの漫画家は誰だと思います?」と聞かれて、手塚治虫さん?と答えたことがある。彼は事も無げに笑って、白土先生と応じ、その金額に私は逆立ちしたくなった。